トラック野郎の華麗なるダンプ遍歴

〜 映画『トラック野郎』で伝説になった「宮﨑靖男」と愛機たち 〜

筋金入りのダンプ屋人生を歩んできた、デコトラ界のレジェンド・宮﨑靖男さん。彼が存在しなければ、映画『トラック野郎』の成立はもちろん、デコトラという文化がここまで飛躍することは間違いなくなかっただろう。ここでは、そんな宮﨑さんがハンドルを握ってきた輝かしき愛機たちの一部を紹介したい。映画ブームの前からダンプのカスタムに注力してきた彼の、「いすゞTD」のボンネットダンプ、そして伝説の名車となった「哥麿(三菱ふそうT931)」を含めた愛機たちを、ご自身所有の写真とともに振り返ってみたい。

太平洋戦争の最中である昭和18年に生を受けた、宮﨑靖男さん。農家の長男として生まれたもののハンドル稼業へと想いを走らせ、16歳で小型免許を取得した。そして購入したマツダの軽3輪トラックが、宮﨑さん自身初の愛機となる。やがてロングボディへと台替えし、材木を積んで走っていた。しかし宮﨑さんが抱いた夢は、平ボディではなくダンプ。運送屋に勤めながら大型免許を取得し、19歳でダンプ屋人生をスタートさせたのである。

当初はドライバーとして6トンダンプを転がしていたが、仕事よりもダンプを弄ることを重視していた宮﨑さんは、周囲からダメドライバーの烙印を押されてしまう。「もっと融通が利くように」との想いから、21歳で「いすゞTD」を購入し、独立した。このクルマこそが、宮﨑さんのダンプ屋人生における原点である。 

独立したのは東京オリンピックが開催されていた昭和39年のこと。そして昭和50年(1975年)、映画『トラック野郎』第1作が公開される。以後、シリーズを通じて映出車多数を手配したり、俳優としても映画に出演することになる宮﨑さん。そんなデコトラ黎明期からブームの牽引車でもあり、そして今日まで活躍し続ける、レジェンドの過去の名車を紹介したい。

当時の仕事仲間と写るいすゞTDの8トンダンプが、宮﨑さんが初めて購入した個体。モノクロ写真でありながらも、フロントバンパーがメッキであることが窺える。フォグランプとランプ、バス用と思しき旗棒も見逃せない。プロテクターには金剛ボディの作業灯を取り付け、ズラリと並べたランプとヤンキーホーンで飾られている。当時は(市販されるような)トラックパーツのない時代にもかかわらず、そして21歳でこのセンスなのだから、恐れ入る。

23歳になると、宮﨑さんは2代目となるいすゞTDの8トンダンプを購入。グリーンメタリックのカラーリングで仕上げられた同車は、ボディに花文字をオシャレにあしらっていた。「シート台は、平ボディを扱っていた相模原の大和車体に相談して造ってもらったんだ。このクルマにはさ、東京都港区麻布六本木・東京営業所って書いていたんだよ。こっちの住所じゃ、珍しくもなんともないからさ。洒落だよ。滅茶苦茶だったよね(笑)」と宮﨑さんは笑う。当時のマフラーは後ろ出しで、出口のパイプを延ばして快音を轟かせていたという。

25歳になった1968年、デビューしたばかりの三菱ふそうT951を新車購入。それまでのボンネットタイプからキャブオーバーの後輪2軸という当時、斬新なモデルチェンジを果たした最新車両を愛機とした。メッキ化したダブルバンパーの左右にはバス用の旗棒やフォグランプを装備。アンドンやマーカーを取り付けたシートデッキもポイントだ。

1973年、宮﨑さんにとって4代目となるダンプは、三菱ふそうのT931。V8エンジン280psの当時ハイパフォーマンスを誇るダンプだ。そしてこのT931こそが後年、映画『トラック野郎』のシリーズとともに伝説となる「哥麿」へと昇華するベースモデルでもある。

映画の続編が増えるたびに進化していく「哥麿」。多数あるマーカーやアンドンもバランスよくレイアウトされている。またフロントフェンダーは、日産セドリック用のモールをアレンジし鉄メッキ化しつつ装備するなど、随所に独自のアイディアが散らばる。映画でのアップシーン用のためか、ドアにも丸いアンドンを取り付けている。

スタジオの写真は、1975年12月31日の第26回NHK紅白歌合戦でのもの。なんとスタジオ内に、宮﨑さんをはじめとする関係者、そしてデコトラ2台が出演し全国に放映された。同年の夏にスタートした映画『トラック野郎』が当時、どれだけ人気があったのかを物語る写真だ。

宮﨑さんにとって6代目の愛機が、’81年にデビューした日野自動車のスーパードルフィン。現在でも人気のベース車だが、宮﨑さんは初期型をベースに立川ボデーでフル架装を施した。「み組丸」と名付けられた同車の飾りは先代の流れを汲むもので、赤色のキャビンとウロコステンレスのキャデラックバンパーなどで仕上げられていた。やがて角目4灯のヘッドライトへと換装し、飾りも飛躍の一途を辿った。

7代目となる日野スーパードルフィン・プロフィアもまた、初期型モデル。「レジェンドofみ組」というニックを掲げたこの車輛は、当時の関東み組メンバーから受け継がれた個体だ。入手すると同時に、宮﨑さん流のボディメイクが施されたのである。そのことにより、より洗練されたプロポーションへと見事に昇華。自身初となるハイルーフ車を、持ち前のセンスと着眼点で美しく仕立て上げたのである。

そしてこのプロフィアこそが、宮﨑さんの人生における最後のダンプとなった。令和2年の10月8日に脳梗塞を患った宮﨑さんは、同車をラストにダンプを降りたのである。とはいえ彼のダンプ野郎としての輝き、そして映画『トラック野郎』への多大なる貢献は、なんら色褪せることはない。

  • 本記事および画像は、2021年9月発行の『トラック魂 特別編集 宮﨑靖男物語』(交通タイムス社刊)の一部を引用・再編集したものです。

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