令和のトラックマナーはどう変わったのか? 消えゆく「街道仁義」とプロ意識の行方

昭和のトラックドライバーには、互いを思いやる「街道仁義」があった。令和の道路環境では、あらためてプロとしての安全意識と心の余裕が問われている。

昭和のトラックドライバーにあった街道仁義

昭和のトラックドライバーたちの間には、「街道仁義」と呼ばれる不文律のルールが存在した。一日のほとんどをキャビンで過ごす彼らにとって、道路は単なる移動のインフラではなく、「職場」であり「生活」の場所でもある。だからこそ、互いが円滑に、そして安全に仕事を行えるように、言葉を超えた連帯感とマナーが重んじられていたのだ。

現代では当たり前となった「前方の渋滞をハザードランプで後続に知らせる」という行為も、もとはこうしたトラックドライバーたちの阿吽の呼吸から生まれたのである。

もちろん、昭和の運行環境のすべてが美化されるわけではない。当時は過積載が横行していただけでなく、スピードリミッターもなかったために、運転が荒っぽいドライバーも多かった。とくに、「追っかけ便」と呼ばれた鮮魚輸送のトラックなどは、凄まじい緊迫感で夜のハイウェイを飛ばしていたものである。

しかし、そんな時代であっても、彼らは単なる無法者というわけではなかった。急ブレーキを踏む際は必ずハザードを点滅させ、後続車の危険回避に気遣いを見せるなど、破天荒な走りの裏には、プロとして一定の矜持を持っていたのである。

譲り合いが生んだプロ同士の絆

渋滞時や合流における絶妙な譲り合い、進路を譲ってもらった際のお礼のクラクションやハザード。長距離運行で孤独や疲労に苛まれる中、見ず知らずの同業者から示されるこうした小さな気遣いは、彼らにとって何よりの清涼剤であり、明日への活力になっていたようだ。そこには「同じ過酷な環境を生きるプロ同士の絆」が、存在していたのであろう。

しかし、令和では、かつて感銘を受けたような「プロとしての洗練された振る舞い」に出会わなくなったと嘆く古参ドライバーが少なくない。背景には、安全や労務管理、いわゆるコンプライアンスの厳格化があるという。

速度抑制装置の義務化や、デジタルタコグラフによる運行管理は安全性の向上に寄与した反面、ドライバーから「時間的なゆとり」を奪い去ってしまったのだ。

その焦りが、現代の歪んだ運転マナーにつながっているとも考えられよう。追い越し車線を走る乗用車の存在を無視して強引にレーンチェンジを敢行したり、リミッター作動速度のわずかな差で2台のトラックが並走状態になっても、追い越される側が決してアクセルを緩めようとしない。こうした身勝手な光景が、今の高速道路では当たり前になってきている。

令和だからこそ求められる安全の手本

数十tの荷物を積んだ大型トラックは、乗用車と同じ感覚では停まれないし曲がれない。一歩間違えれば、他者の命を容易に奪う「モンスター」になり得るのだ。その恐怖心と、プロとして周囲に配慮すべき安全マージンを、余裕をなくした現代のトラックドライバーは見失っているようである。

スマートフォンを見ながら運転するドライバーが増えるなど、道路全体のモラル低下も深刻だ。しかし、そういう時代だからこそ、巨体を操るプロが「周囲の安全の手本」とならなければならないのではないだろうか。

自らの運転が周囲に与える影響を常に想像し、他者を思いやれる心の余裕を持つことが重要なのだ。かつての「街道仁義」という精神的な美徳を思い出し、トラックドライバーが誇りと自覚を持って、日々の運行に従事することが求められているのである。

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