奥深いトラックの歴史を紐解いてみた

すでに日常のなかでトラックは当たり前の存在だが、その歴史を辿ってみるとルーツは平安時代にまで遡ることができるのだ。そこで今回はトラックの歴史を遡って紹介しようと思う。

まずもっとも古いトラックの起源だが、これは700年代のことのようだ。当時、馬車も存在していたが、牛にクルマを引かせる牛車が交通手段として用いられていた。ものではなく人を運ぶという違いはあるものの、重量物を運搬するということを考えるとトラックのご先祖は牛車と言うことになる。

そして1860~90年代の慶応~明治時代になると、西洋文化の普及とともに、西洋式の馬車が急発展を遂げることになる。乗合馬車、郵便馬車が次々に開設されたほか、荷馬車が普及していった。

その後、動力が牛や馬だった時代を経て、蒸気機関車による大量輸送が確立されたのだが、ここで面白い変化が現れる。それは荷馬車の復活だ。蒸気機関車の普及によって駅では商品の輸送量が増えたのだ。それによって一時は衰退した荷馬車の需要が再び高くなったのだ。

時は進んで明治時代。海外製の自転車やオートバイなどが国内に流通するようになる。それと同時に、自動車も輸入されはじめたのだ。その後1904年(明治37年)には日本人が作り上げた初の蒸気自動車が登場。国内では自動車の開発がさかんに行なわれるようになり、1904年(明治37)年、山羽式乗合自動車(蒸気エンジン)が完成した。

その後、大正13年には、取り寄せたウーズレーCP型1.5トン積トラックの図面および見本車を元に2台の試作トラックが完成して、1,000kmの運転試験を行なうに至ったのだ。

そこから先は石川島自動車製造所、東京瓦斯電気工業、ダット自動車製造の3社が共同で、TX40型トラック、TX35型トラック、BX40型バスなどが製造されることになった。その後終戦を迎えると、日本ではGHQの指導により自動車の製造が禁止されたものの、1945年10月にはトラックに限って生産許可がおりることになる。

そしてついに日本初の高速道路開通をもって、大量高速輸送時代へと突入していくのだ。

日本初の高速道路・名神高速道路(西宮~小牧)が全面開通したのち、1969年には東名高速道路が全面開通を果たしている。

こうして日本は本格的な高速輸送時代を迎えるわけだが、それと同時にトラックも高速化される必要があった。その結果、高出力のエンジンを搭載した大型トラックが次々に生産され、大量の物資を短時間で移動させられる舞台が整っていった。昭和35年と昭和45年の国内貨物輸送トンの推移を調べると、10年間で約4倍もの伸びがあった。

(記事参考 いすゞ自動車)

https://www.isuzu.co.jp/town/study/semi/02.html

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